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生きとし生けるもの

仏教の慣わしに「報恩講」というものがある。

百科事典によると
ほうおん‐こう【報恩講】 仏語。祖師・先師の恩に報いるためにその忌日に行われる法要。真宗系では祖師親鸞の忌日に本願寺派・高田派各本山が新暦で一月一一日から一六日に、他派本山は旧暦で一一月二二日から二八日まで行う。天台宗でも祖師の忌日と別に九月一七、一八日に行う。お講。《季・冬》

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

私自身、仏教徒のつもりはないが、家には仏壇がある。
毎年家族は報恩講を催している。

しかし近年は、正座(大概崩しているけれど)をしてお経を聞いているのが億劫でバイトだなんだと言い訳しては参加していなかった。

まだ、言い訳が見つからず参加せざるを得なかった頃のこと。
お経のあとは必ずお住職さんの説法がある。
その中の言葉が今でも忘れられない。

「人は皆、生かされておるもの」

先祖があって今の自分がいる。色んなものに、生かされている。けっして一人で生きているとは驕らないこと。
あの頃は大して気に留めずにいたけれど、今ならわかる。
先祖の大切さ、親のありがたさ、家族の絆。
いくら自分が仏教徒ではないと豪語しても、その教えに違和感を覚えないあたり、日本人であることを実感する。

以前、仏教を批判する宗教の勧誘を受けたことがある。
熱弁する勧誘者をどこか冷めた目で見ながら、一方で自分を省みた。

自分は一体何を信じているんだろう・・・

たどり着いた答え。
それは”私は私を信じたい”

宗教に属することを否定はしない。たとえマイナーであろうとメジャーであろうと。
それが犯罪につながるようなら別問題だけれど。
どんな信仰だって、それが心のよりどころになるなら、人は強くなれると思うから。
だけど私は、自分を選ぶ。
困った時だけ神頼みなど、図々しいにも程がある。
普段は神を大切にできないんだから。

勧誘者にそう告げると、そう言う人は一番難しいと言われた。
否定派ならば信じるきっかけさえあればいい。
しかしどっちつかずの中立派はなかなか落とせないらしい。

そんな私でも信じるものが一つある。
それは「言霊」
言葉に宿る魂のこと。
発した言葉は力を持つ。いい方にも悪い方にも。
だから辛い時は誰かに「大丈夫だよ」って言ってもらいたい。
そしてできるだけ悪口は言わぬように。

先人の教えは、当分覆されそうもない。この先もずっと。
でも信じるものは、自分で選べる。


  あなたの信じるものは何ですか?
by miyuki_oda | 2006-04-18 20:29 | ひとりごと